AIエージェントを使い始めて最初にやったのは、「指示書」のようなものを書くことだった。好みの文体、やってほしくないこと、過去に起きたミスのパターン。最初は数行だった。今は何十行にもなっている。セッションをまたいでAIに読み込ませる、自分専用の取扱説明書だ。
書いているうちに気づいた。これは自分の取扱説明書でもある、と。
最初はシンプルな内容だった
ファイルを作った日、書けた内容はわずかだった。
「AIに何を伝えればいいか」と考えたとき、すぐに出た内容では全然たりなかった。自分がどういう返答を好むか、何をされると気持ち悪いか。言語化できているつもりでも、暗黙の前提が大量に埋もれていた。人間相手なら付き合いの長さで埋まる部分だ。AIにはそれがない。
「結論から話してほしい」「前置きはいらない」など、自分で言語化していたルールに加えて、「Markdownで構造化してほしい」など、運用しながら追加されていくルールは大量にあった。
書き出すまで気づかなかったこと
取扱説明書を育てていくと、想定外のことが起きた。書くたびに、自分の判断基準が少しずつ明確になっていった。
たとえば「ファイルの置き場所」についてのルールを書いたとき、自分がいかに「どこに置くか」について無意識のこだわりを持っていたかに気づいた。整理されていないと収まりが悪い。一時ファイルでも、どこに保存されるかが曖昧だと確認したくなる。そういう傾向が、ルールを書くことで言語化された。
「行き詰まったら押し進めずに計画を見直す」というルールもある。これは自分が実際にAIと作業していて、詰まっているのに無理に進めて失敗した経験から書いた。でも書いた後に思ったのは、これは自分自身の仕事のやり方にも当てはまるルールだ、ということだった。取扱説明書を書いているのか、自戒を書いているのか、境界が曖昧になってきた。
ミスをルールにする仕組み
取扱説明書で一番気に入っているルールは「修正されたら同じミスを繰り返さないようルールを追記する」というものだ。
AIが自分の意図と違う動きをしたとき、その場でやり直すだけでは終わらない。「なぜそうなったか」を考えて、再発しないようルールを一行加える。これを続けると、ファイルが少しずつ厚くなる。失敗の記録が、次への仕組みになる。
おもしろいのは、このルール自体もルールとして明文化している点だ。「修正されたらルールを追記する」というメタなルールが、ファイルの最初に書いてある。それを明文化することで、AIだけでなく自分もそのルールに縛られる。意図してそうしたわけではなかった。書いているうちに、自然とそういう構造になった。
人間には言えないが、AIには書ける
「簡潔に、結論から話してほしい」と人間の同僚に言える人はほとんどいない。
言ったとしても、関係性が変わる可能性がある。角が立つかもしれない。相手を傷つけるかもしれない。だから言わない。代わりに、相手のペースに合わせる。自分のペースを調整する。その摩擦は消えないが、言語化もされないまま積み重なる。
AIには書ける。「前置きはいらない」「Markdownで構造化してほしい」「見出しのレベルを飛ばさないでほしい」。全部、遠慮なく書いてある。AIが傷つくことはないし、関係性が変わることもない。そういう自由さがある。
でもその自由さは、裏を返せばこういうことだ。自分が本当に望んでいることを、人間関係の中では言えないでいる、ということでもある。取扱説明書を書いていると、その事実がときどき静かに浮かんでくる。
取扱説明書は今も育っている。新しい作業パターンが増えるたびに、ルールが足される。削られることもある。以前は必要だったルールが、よりシンプルで広範囲に適用されるルールに洗練される。ファイルの変化が、自分の変化を反映している。AIとの作業精度が上がっているのか、自分の思考の解像度が上がっているのか、どちらともつかない感じが続いている。それはそれで、悪くない状態だと思っている。
「自分はどういう返答が好きか」を一行書くだけで、取扱説明書は始まる。